自分の中にあるかないか、それが一番大事

売りにしたいことが、自分の中にあるかどうかが全て。

 

結果を出すためには、それが好きになることが大切というのはそれが全てなんですよね。

 

興味関心が持てるかどうかは、自分の中で積み重なっていくかどうかのその効率に大きく影響するんですね。

 

特に、まだ誰も取り組んでいない、先駆者のいない領域において、挑戦を繰り返すことは、常に苦難の連続というか、やっぱりできないことが目立ってくるんです。

 

そこで、自分が好きでやってれば、それ自体が楽しめるので続けられますし、いつかうまくいくと信じて続けることもできますからね。

 

ということで、ブログコンテンツに限らず、自分の仕事や勉強を続ける時にも重要ではないでしょうか。

 

何か新しいことを始める時には、自分が好きかどうかが大事ですね。

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仕事できるってなに?【周囲の評価編】新成人の皆様向け。

同じ仕事をしてるのに、自分とあの人の評価が違う。

おのれ!
しかし、なぜでしょうか?

古くて新しいこの話題。


やるべきことは単純です。

周囲の人から愛される人間になること。

挨拶をきちんとするとか、相手の心をくすぐるような一言が言えるかどうかとか。


そういうところが、あるかないかで、いい仕事をした時に過大に評価してもらえたり、失敗した時にもフォローしてもらえたりするんですね。


デジタル時代にこそ、非エリートの世界が大切になってきます。

顧客は、人ですし、仲間も数値的な理屈でなく動く。

ということで、仕事ができるというのは、人間的な魅力があるというのとイコールです。

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以上、大学卒の社会人の先輩からのコメントでした。

楽しいことをネットで引っ掛ける日々

タイトル詐欺です。

人生で成功したいならば、ネットで楽しいことを探す時には工夫が必要という話です。

 

突然ですが、人間には3つの欲求があるといいます。これらは直で快刺激につながります。

食欲、睡眠欲、あと一個は縁がないので忘れましたね。

 

これらの快刺激は、人間を短絡的にします。

長期的に見ると、いいことになりません。

 

成功者ならば、この事実に精通しています。

快刺激をあえて、関節的に摂取するようにしています。

 

例えば、かのアップルコンピュータの創業者で、スマートフォン市場の生みの親、スティーブジョブズの快楽は、世の中を変えること。

人を驚かせること。

自分自身が楽しむこと。

世界に臆することなく自分自身のやりたいことをやり抜くこと。

 

さて、これらの中には、パッと見、どっこにも3大欲求の影もないのがわかりますよね?

 

しかし、実は、その技術の先で三大欲求につながる資源を生産することに貢献しています。

ITで効率化することによって、各情報に短時間や低コストでアクセスできるようになりました。

世の中を豊かにするということは、その3大欲求を満たす余裕をたくさんの人にもたらすことになるのです。

いわゆる、この余裕は人としての幸せというやつを営むのに必要です。

そして、その余裕を提供することが、成功への一番の近道なのです。

 

ということで、そういう「余裕」を生産する人間になるか、消費する人間になるかによって成功できるかどうかが変わるというお話がタイトルにつながります。

 

ネットで楽しむことについてもう一度考えてください。

動画や文章や、音楽を消費することは、つまり、自分の時間を消費することですよね。

もちろん、そのことに気がついてやってるのであれば、違うんですが。

そういう人は、逆に頭いいので羨ましいです。

ブログコンテンツの文章は短くてもいいはずだ。

なぜなら、インパクトがすべてだから。

たとえば、あなたはこの記事のタイトルを見たときに「え?どうして?」と理由を気にしたはず。

そのような感情を巧くとらえる文章が臨機応変に書けることが一番大切で、そこで相手が納得いく提案が出来たりすると、その人はリピーターになってくれる可能性が高いです。

大切なのは、読み手の感情のゲキテツを引き起こすような、刺激な狙いがもてるかどうかですね。

それが、その人らしさであったり、オリジナリティにつながるのだと思います。

初詣に行った

近所のしょぼい神社には、石畳と歴史の古そうな鳥居が暗闇でさらにしみて見えた。

とりあえず、誰もいないことを確認し、財布の中から百円玉を取り出すと、お賽銭箱に投げ入れようとしてためらった。

「五円じゃなくていいのか?」

そう、定番は五円玉だろう。
人や仕事、お金などに対するご縁はいくらあっても困ることは無いのだから、ここは、定番過ぎて何の変哲がなかろうとも、きちんと五円玉でお賽銭をするべきだ。

そう思い直す気持ちを、いやいやと改めて打ち消す。

財布の中に五円玉など無かったではないか…

仕方なく賽銭箱に百円玉を放り込み、そそくさと神社をあとにする。
こういう大事なタイミングにしかるべきものがないというのはよくあることなのかもしれないが、やはりどこかもの悲しく、また今年一年の行く末を暗示しているかのようで、どうにもいたたまれない。

そんなことを考えながら、ときに木の根や、石畳に足を取られながら、神社を後にした。

それが二日前の話で、こんなみみっちいことをうじうじ考えているから、運が向いてこないのだろうと勝手に結論づけ。
こんなことしの初詣。

初夢なんて見ていない

体調わるくてぐっすりと眠っていたので、全然見ていないです。

 

今日に至るまで。

 

何か素敵な夢が見られたら、いいのですが。

美味しいものを死ぬほど食べる夢を見れたらいいですね。

 

それを現実にするために頑張れそうです。

餅食ってない(という気がしたけど食べてた。

今年は食べてないなあと思っていると、そういえば、一昨日食べたお雑煮の中に入ってた。

 

やきもちを思い浮かべていたので、こんな単純なことをパッと思いつきませんでした。

 

発想の転換というか、包含関係を意識する、要素に気をつけるというのは大切だなあと思いました。